「いわゆる『オタク』の地位は向上していないが、『オタクが好きだったコンテンツ』の地位が上がったのは事実でしょう。市民権を得たのはあくまでオタク文化やコンテンツであり、かつてオタクと呼ばれていた層は別の蔑称、たとえば『チー牛』などと呼ばれているのが現状でしょう。かつて『オタク』を自称することは、社会から現実逃避する側面があった。しかし今はコンテンツを通じて社会と繋がることを意味している。時代や環境によって『オタク』像は異なるため、ランキングに賛否があるのはしょうがない」(同)
「オタク」が市民権を得たというより、「オタク」を名乗る別の人種にアイデンティティを乗っ取られたというのが正しいのかもしれない。