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大正時代に誕生した、つらいサラリーマン像。そしてブラック労働の実態/なぜ働いていると本が読めなくなるのか③

ダ・ヴィンチWeb

 若者たちは、せっかく学歴をつけたにもかかわらず、下級職員──当時は「腰弁」と呼ばれた。毎日弁当を持って出勤する安月給取りを意味する言葉だ。なんという悪口──にならざるをえなかった(鈴木、前掲『〈サラリーマン〉の文化史』)。その給料は思いのほか安く、彼らは想像していたようなエリート層にはなれなかった。彼らを待っていたのは、長時間労働や解雇の危機、そして思うような消費もままならない物価高だった。

 鹿島あゆこは、論文「『時事漫画』にみる『サラリーマン』の誕生」にて、サラリーマンを戯画化した大正時代の漫画を分析した。それによると、大正時代初期から中期にかけて、サラリーマンという言葉に「社会状況や雇用主によって生活基盤を左右されやすい被雇用者」であるというイメージがついていたというのだ。

 労働者階級とは違う自分を誇示するために、見栄のために食費を削ってまで、服飾費にお金をかけるサラリーマン。しかしその服飾費や交際費に金をかけようとすれば、物価高に苦しめられてしまう。

 つまり、サラリーマン=物価高騰や失業に苦しむ人々、という図式が社会に定着していた。上司にはぺこぺことおもねり、自分の見栄えを気にして給料に見合わない高い洋服を買い、休みは減らされながらもそれでも働き続け、しかし常に解雇の恐怖と隣り合わせ──。現代にも通じる「労働が辛いサラリーマン像」ができ上がったのは、実は大正時代だったのだ。

 実際、鹿島の紹介する北沢楽天による時事漫画を見ると、現代と変わらないサラリーマンの悲哀が描かれていることに驚いてしまう。たとえば1922年(大正11年)7月の「時事漫画」に掲載された「能率試験」というタイトルの漫画。能率が良くなければ勤務時間延長の針山、あるいは暑中休暇全廃の釜、失業の谷に投げ込まれていく労働者や会社員たち……。涙なしには見られない。休日返上、勤務時間の延長、といったキーワードは100年経っても変わっていない。「労働に苦しむサラリーマン像」が大正時代にすでに描かれていた。

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「立身出世」を目指した明治の若者たちの行く末がこんなところにあったなんて、いったい当時の誰が思っただろう。そりゃ、どの本も暗い内容であるのもさもありなん。こんな状況じゃ、スピリチュアル小説も貧困層の小説も流行るよな……と妙に納得がいってしまう。

*1 鈴木貴宇は『〈サラリーマン〉の文化史』で『日本のサラリーマン』(松成義衛・田沼肇・泉谷甫・野田正穂、青木書店、1957年)を引用し、この意見を「従来の解釈」としている。

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