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【連載】速水健朗のこれはニュースではない:オッペンハイマーの家にはなぜキッチンがないのか

Real Sound

 ただ、評伝にはオッペンハイマー夫婦のやりとり、つまり「つくらせればいい」のくだりは描かれていない。これは映画の創作だろう。何から何まで抜け目ないように見えるオッペンハイマーだが、新居にキッチンがないことに気が付かない。そういう演出の意図なのだろう。

 砂漠の真ん中に急ごしらえで町がつくられ、町の入り口付近にはバーもつくられていた。西部劇映画のセットを思わせる張りぼての町。このニューメキシコは西部劇の撮影場所としても使われていた場所。監督のクリストファー・ノーランは、原爆開発のために生まれた研究所の姿に映画のロケ現場を重ねる試みをしている。研究の現場では、常に記録用カメラがセットされている。こうしたカメラは、意図的にフレーム内に配置される。もっとも印象的な場面ではオッペンハイマーの後ろにカメラのシルエットが重ねられていた。この場面だけからでも、映画の壮大な試みを見て取ることができる。

■ロスアラモス研究所にはジョン・フォン・ノイマンもいた

 膨大な予算の下、大勢のスタッフが長期間を過ごす。原爆研究と映画の製作は、似ている。シリアスな原爆開発という題材ゆえ、軽々にこれは映画の製作の話であるとは言いにくいところがある。だがその意図を無視できるわけがない。プロジェクトを町の並びから人生まで含め、すべてコントロールする。これは、オッペンハイマーの仕事であり、ノーランの役割でもある。また、成果として生み出されるのは、巨大な光の渦。それは、原爆であり映画である。

 ノーランは、キューブリックと比較される存在。原爆、科学者を描いたキューブリックの作品に『博士の異常な愛情』がある。核戦争に突入するスイッチが押された直後からのドタバタを描く映画だ。もう飛び立った爆撃機には引き返せという命令は届かない。世界は破滅の秒読みという事態が描かれる。

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 この映画には会議場が描かれる。大半がこの会議の場面で起きたことで話が進んでいく。大統領や閣僚、軍のトップたちが並ぶ安全保障会議。見るからにマッドサイエンティストの科学者Dr.ストレンジラブはこの会議の一員でピーター・セラーズが演じている(彼は何役も兼ねた)。そのモデルはジョン・フォン・ノイマンで、彼はロスアラモス研究所にいたもっとも有名な研究者の1人。ちなみに彼は研究所の中には住まず、外との行き来を許されていた特別待遇の1人でもあった。この人物が『オッペンハイマー』に出てこないのは、ノーランがキューブリック作品を意識してのことなのか。

 光と音では進む速度が違う。映画館の座席とスクリーンの間は、十数メートルなので、タイミングがずれて聞こえるということはない。だが厳密には、同時ではない。物語の時系列が組み替えられ、ときに逆行するのはノーラン作品ではおなじみの光景。ただ映画とはそういうものでもある。また、ものごとの評価は、どこの時間軸で見るかで変わる。ある出来事の以前と以後では、世界は変わってしまうのだから当たり前である。また、20世紀の時点での量子力学は、観測者が観測しているときとそうでないときに違う結果が現れることを巡って議論されてきた。これらはすべて『オッペンハイマー』という映画と関係している。少々書きすぎた。この辺で切り上げておく。

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