Ⓒ1950 RTI/Rizzoli
各話の冒頭にあらすじが明示されるにもかかわらず、予測不可能で破天荒な面白さの連続に目が回る。大嵐で始まるこの世界の凶暴さはさらに度を超えて可笑しいほどに荒れ狂い、だがそれ以上に驚くのは、何度も不意に訪れる圧倒的な多幸感だ。丘を駆け下り、鈴の音に歓ぶ“兄弟たち“の顔は、微笑みと呼ぶにはあまりにも不思議な顔をしていて、見たことがない。
—三宅唱(映画監督)
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白黒画面のみずみずしさと、役者たちの表情の豊かさ。
そうだった、映画にはこういうこともできるのだった、と思い出す。
清潔で、ユニークで、どこまでもやさしい。
—江國香織(小説家)
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修道士たちが野山を素足で駆け抜ける。
どこへ向かうのか。ぐるぐる廻って倒れたほう!
すべてを捨てることですべてが得られる、映画の奇跡。
ネオレアリズモの最深部はここにある。
—三浦哲哉(映画研究・批評)
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自然を愛し、愛と平和を説いたエコな聖人「聖フランチェスコ」と、彼を慕う仲間たちのヒューマンでユーモラスな日々!
ピュアな想いが導く突飛にして愛おしい行動が世界を変える!私たちの心を自由にしてくれる名作。
—加藤浩子(音楽物書き)
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これは聖人の伝記ではない。滑稽なほど生真面目な男と彼を慕うどこかおかしな弟子たちの日常の断片だ。
しかしそれが風景と共に丸ごと捉えられた時、不意に超越的な瞬間が訪れる。
ロッセリーニの射程の広さに、あらためて震えた。
—古賀太(日本大学芸術学部教授)
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監督:ロベルト・ロッセリーニ
脚本:ロベルト・ロッセリーニ、フェデリコ・フェリーニ
撮影:オテッロ・マルテッリ 美術:ヴィルジリオ・マルキ 音楽:レンツォ・ロッセリーニ 製作:ジュゼッペ・アマート
出演:ナザリオ・ジェラルディ修道士(フランチェスコ)、アルド・ファブリッツィ(専制君主ニコライオ)、アラベラ・ルメートル(キアラ)、セヴェリーノ・ピサカネ修道士(兄弟ジネプロ)
[原題:Francesco, Giullare di Dio 1950年/イタリア/モノクロ/86分/スタンダード]
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配給:コピアポア・フィルム/lesfugitives
●Twitter(X):@Francesco1222rr