こだわり方がまったく違う
英仏のあいだに横たわるドーヴァー海峡は、狭そうで案外幅のある海峡なのかもしれない。海峡一つ隔(へだ)てただけで、かくもことなるものかと驚くような習慣が多くあるからだ。紅茶などはそのよい例である。
フランスのカフェやレストランでは、紅茶はレモン・ティーかミルク・ティーの別のみで、ダージリンとかセイロンとかアッサムなどという葉の区別というものがほとんどない。相当に高級なレストランでも、安紅茶のティー・バッグをティー・ポットに入れたものを平気で持ってくる。一般家庭でも、ティー・タイムなどというものは存在しない。
しかも、紅茶の淹(い)れ方もいたって無神経で、渋すぎたり、反対にひどく薄かったりする。お湯の温度や葉の分量に気を使うイギリス人とはえらいちがいである。
おそらく、紅茶に関するこうした英仏のちがいは18世紀の七年戦争〔1756-1763〕に端を発しているのだろう。
フランスはイギリスと競争してインドの植民地化を推し進めたが、七年戦争の敗北でインド権益のほとんどを失った。
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その結果、インドと極東でしか取れない紅茶はフランスに入ってこなくなったのに対し、仏領西インド諸島でプランテーション開発が進んだコーヒーはフランスに大量に輸入されて、カフェ文化を開花させた。
サロン・ド・テのマダムたち
では、フランスよりもひと足先にコーヒーハウスが大流行したイギリスではどうだったかというと、コーヒー植民地の少なさのためにコーヒーハウスが衰退したのとは逆に、豊富な供給源を得た紅茶は英領西インド諸島産の砂糖と結びついてステータス・シンボルとなり、「家庭内飲料」としてしっかりと定着した。
紅茶の国イギリスとコーヒーの国フランスという嗜好品の棲み分けはこうして生まれたのである。
もっとも、フランスでも一部の上流階級、とりわけ婦人たちはイギリスかぶれでコーヒーよりも紅茶を好む傾向があり、19世紀末には、紅茶とケーキを売り物にしたサロン・ド・テ(ティー・サロン)が誕生した。いまでもパリ16区あたりの高級住宅街にはプルーストの時代の上品な雰囲気を残すサロン・ド・テがある。こうしたサロン・ド・テで、リモージュやセーヴルの高価なティー・サーヴァーをぼんやりと眺めながら、周囲の上品なマダムたちがかわす美しいフランス語に耳を傾けるのは一つの快楽でさえある。
ただし、多少の選択肢はあるものの、紅茶の味はイギリスのそれに遠く及ばない。
【グリの追伸】寝てるところを撮るのは禁じ手にして欲しいと思います。とくに接写はやめてもらいたいです。これでも、一応、chat femelleですから。