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夢の舞台に立つ“二刀流”の兄・大谷龍太

週刊ベースボールONLINE

万感の全国切符だった。東北第1代表として創部7年目で初の都市対抗出場を決めたトヨタ自動車東日本(岩手・金ケ崎町)。そのチームでコーチ兼選手として大きな原動力となったのが大谷龍太だ。弟は投打の二刀流で現在はMLBエンゼルスでプレーする大谷翔平。まったく違う野球人生を歩んできた兄が、6度目の挑戦でつかんだ夢舞台での活躍を誓う。

対照的な紆余曲折の野球人生



宮城県庁で行われた知事表敬訪問の際の1枚(写真右が大谷)。東北の代表としてさらなる高みへの決意を口にした

 自身にとっての初めての全国大会は、チームにとっても初の大舞台となった。コーチ兼外野手の大谷龍太は創部当初からチームをけん引。トヨタ自動車東日本を創部7年目にして初の都市対抗出場に導いた。

 岩手県で大谷と聞けば誰もが大谷翔平(エンゼルス)の名を思い出すだろうが、トヨタ自動車東日本の大谷は、その翔平の兄だ。「弟はすごすぎてライバルとも思っていないです。向こうはプロですし、一ファンとして見ている感じです。それに僕は全国にはほど遠い野球人生だったので」と自身も振り返るように、これまでその名を聞く機会はほとんどなかったが、東北の代表として都市対抗に臨むチームの中心選手として今、注目を集めている。

 甲子園出場、日本ハムでの日本一、そしてメジャー・リーグ挑戦と輝かしい経歴を持つ弟とは対照的な野球人生を歩んできた兄・龍太。だがキャプテンを務める北見昂之が「本当に頼りがいのあるいい先輩。しっかりしているのでいつも頼りにしています」と話すように、チームメートからも慕われ、たゆまぬ努力でトヨタ自動車東日本野球部の歴史を作る第一人者となったのだ。

 大谷は高校卒業後、地元のクラブチームを経てプロを目指すため独立リーグでプレーしていた。そんな中、2011年に未曾有の東日本大震災が発生。地元の岩手も被災した。すると翌年、復興と地域貢献を目的にトヨタ自動車東日本が創部され、その初期メンバーとして一緒にやらないかと大谷に声が掛かった。

 当時は四国アイランドリーグ・高知ファイティングドッグスでプレーしていた大谷は、地元に戻ることを決断。もう一度環境を変え、新たな目標に向け歩み始めることに。その日から7年。当時の決断が間違っていなかったことを結果で証明してみせた。

部員13人からの苦難の船出


 だが、ここまでの7年間は決して平坦な道のりではなかった。初期メンバーは13人。創部当初からコーチ兼任として、プレーに、チーム作りに奮闘した。当時の練習場所は廃校となった小学校の校庭。さらに勤務を終えてからの練習。これらは決してラクなものではなかった。

「こんな環境で都市対抗なんて出られるのか……」

 それが正直な思いだった。それでも、13年の初出場以降、一次予選は負けなし。二次予選は14年以降、毎年準決勝に進むなど、全国の舞台を目指して地道な努力を重ねると、徐々にその成果が認められ始める。

「練習時間もなかなか取れない中でしたけど、会社の理解もあり、年々野球をする環境が整ってきた」

 野球に集中できる時間とともに、部員も少しずつ増えてきた。こういった環境の変化が都市対抗出場への大きな要因だと大谷は語る。

 そんな中、特にチームが強くなってきたと感じるようになったのは昨年からだったという。「若い子たちが力をつけてきている」。気がつけば初期メンバーの大谷は選手最年長となっていた。

強豪相手に正面から挑む


 今年3月で30歳を迎えた遅咲きの苦労人は6月6日、日本製紙石巻との第1代表決定戦で勝利した際、あふれ出す涙を止めることができなかった。マジメな努力家の苦労が報われた瞬間。年を重ねたからこそ、時間がかかったからこそ、喜びもひとしおだった。

 7月13日から始まる都市対抗の初戦は強豪・東芝。それでも「気後れすることなく、正々堂々と正面から戦って必ず勝ちたい」とチームの目標である「都市対抗1勝」に向けて気を引き締める。

 弟の翔平のように決して輝かしい道ではなくとも、地道な努力を続け、つかみ取った全国の舞台。コーチ兼任ではあるが、試合が始まればプレーに集中する。

「チームの勝利につながるようなプレーをしたいです。バッティングはもちろん、守備、走塁とどんな場面でも精いっぱい1球に集中して、全力でやりたいなと思っています」

 目指すは社会人日本一。弟の活躍も力に代えて初の大舞台に向け、大谷の目は少年のように輝いている。

文=阿部ちはる 写真=BBM

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